『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』日本、フィリピン、カンボジアの3監督が学んだこと

投稿日: カテゴリー アジア三面鏡2016:リフレクションズ, ニュース, プロジェクト


東京国際映画祭が国際交流基金アジアセンターとの共同プロジェクトとして、初めて製作した映画作品「アジア三面鏡 リフレクションズ」。「アジアで共に生きる」を共通のテーマに、行定勲監督と、フィリピンのブリランテ・メンドーサ監督、カンボジアのソト・クォーリーカー監督の3人が手がけたオムニバス映画だ。北海道での不法就労で逮捕されたフィリピンの出稼ぎ労働者を描いた「SHINIUMA Dead Horse」(メンドーサ監督)、認知症を患ったことで、東京に住む息子にマレーシアに厄介払いされた老人と、メイドたちの交流を描く「鳩 Pigeon」(行定監督)、内戦時に出会った日本人男性とカンボジア女性の悲恋を描いた「Beyond The Bridge」(クォーリーカー監督)という3つの物語ができあがった。

──10月26日、満を持してプレミア上映されました。出来上がった作品を見た感想は?

メンドーサ監督:私はオムニバスを見るときに、1本ずつではなく、3本をまとまった作品として見たいのです。どういったものを感じられるか、3本の作品の共通点がどのようにつながっているのか、そういうことを考えます。映画評論家としてや監督として見るのではなく、普通の観客として見ます。その物語の展開を楽しみます。

行定監督:僕が興味深かったのは音の使い方です。音の力で、ハッとさせられるような部分がおふたりの作品共にあった。そこを興味深く見ました。「SHINIUMA」の、ひづめの音、雪を歩く足音、それは寒さや痛みを感じました。クォーリーカー監督は時代性を音で表現していらっしゃった。クメールルージュの戦乱の音、時代が変わって現代のシーンと静まり返った夜の音。そこがとても興味深かったです。

クォーリーカー監督:「SHINIUMA」に関しては、メンドーサ監督の雪の中で撮影した勇気をたたえたいです。本当に強い意志を持って撮影されたと思います。主人公の男性が、国外退去を命じられて空港に向かう車中で、対向車のヘッドライトが瞳の中に映るシーン。これまでの人生が走馬灯のように頭に浮かんでいたのでしょう。一言もセリフはないのに、目の演技だけで感銘を受けました。雪のない国からいらっしゃったメンドーサ監督があのような撮影を行われて、私も大変触発されました。「鳩」は物語のコンセプトに感動しました。映画の中で語られる物語は、ある種、自分の人生を垣間見る良い機会だと思うのです。父と息子の薄れた絆を見て、私ももっと家族を大切にしたいと思いました。そして、鳩は平和の象徴の世界共通のシンボル。すばらしいメッセージだった思います。

──外国で、もしくは外国人と共に映画を製作することは、どのような経験になりましたか?

クォーリーカー監督:私はかつて国際映画のラインプロデューサーを務めていたので、海外のクルーとの仕事は慣れていましたが、初めての監督としての仕事は、全く異なるものでした。監督はクリエイティブなアイデア、そしてクルーとしての責任を持たなければいけないですから。今回は日本、カンボジア以外に、オーストラリアとイタリアのスタッフに来てもらいました。カンボジア人だけの現場との大きな違いは、時間に正確であるかないかです。8時の集合をかけると、他の国の人たちは8時に間に合うように来ますが、カンボジア人は8時に家を出るのです(笑)。ですから、1時間サバを読んで、カンボジア人には7時集合と伝えると、みんなが8時に集まることができるのです。そういった工夫も必要です。海外のスタッフと共に仕事をすることで、カンボジアのスタッフがいろいろと学ぶ機会になればよいと思っています。

メンドーサ監督:フィリピンでも時間の問題があります。私は以前にフランス人と仕事をしましたが、彼らは時間に正確でした。フィリピンには、フィリピーナタイムというのがあって、大体皆1時間くらい遅れるのです。ですから私は、海外のスタッフと仕事をして、学ぼうという気持ちをいつも持っています。今回日本のサウンドデザイナーと共に仕事をしたのがすばらしい経験でしたし、以前フランスでポストプロダクションを行った際も、そのプロ意識の高さに驚きました。細かいところにこだわって、仕事をしてくれる人たちでした。こういう気質は、フィリピン人にとても必要だと思いました。

行定監督:日本は時間をお金に換算しますから、そこはきっちりとやっていますね。僕は、思い通りにならないことから、新しい道を見つけ出し、そこから映画が完成させるという経験を、これまで韓国、中国、そして今回マレーシアで経験しました。日本に帰ってきて、いろんなことに直面したときに、大概がマレーシアに比べれば大丈夫と思える。今回のメンドーサ監督のクルーは6人、マニラでも10人。この少ない人数で全員が何をやるか共有しているんです。もしくは監督の言うことを全員が聞く環境が作られている、それがすごく画に表れている。今撮りたいことを、今、カメラを回せるかということなんです。日本だと、今撮りたくても、今回せない。その準備を全員がOkするまで待たなければいけない。この不自由さはものすごく感じているので、時代は変わったと思うんです。そういうことを学びました。

メンドーサ監督:フィリピンのスタッフのフットワークが軽いのは、慣れもあると思うのです。フィリピンの映画はすごく予算も少なかったり、臨機応変に対応しなければならないのです。それと同時に、ディテールにこだわる日本人のスタッフのやり方を学びました、こういうことが相互に学ぶことだと思います。

クォーリカー監督:カンボジアのスタッフも、遅れてはきますが仕事はきちんとするんです。SNS用の写真撮影に夢中になることもありますが、私は16時間くらい撮影をするので、楽しまないとやっていられないという空気もあります。それはとてもアジア的な気質かもしれませんが、楽しみながら仕事をすることも大事だと思います。

──今後、東京国際映画祭に期待することは?

メンドーサ監督:今回のようなプロジェクトは、ぜひ続けていただきたいと思います。こういった形で様々な国がつながることは素晴らしいことだと思いますし、映画人だけでなく、それぞれの国の観客同士のつながりもできると思います。

行定監督:映画祭は人と人との出会いをつなぐ場所。「アジア三面鏡」はとりわけそういうプロジェクトだったと思う。異国のスタッフ同士がどういう風につながっていって、どういうものを作っていくか、そして、それぞれの監督が、その経験の先に、また自分の作品で新しい形で生かしていく。そういうチャンスを与えてもらえたし、観客もそういう作品に出会う喜びがある。今後もこういった取り組みを続けてほしいですね。

第29回東京国際映画祭にて公式会見開催、監督&キャストが共同制作を振り返る

投稿日: カテゴリー アジア三面鏡2016:リフレクションズ, ニュース, プロジェクト

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国際交流基金アジアセンターと東京国際映画祭の共同プロジェクトで、「アジアで共に生きる」をテーマに製作されたオムニバス映画『アジア三面鏡2016:リフレクションズ』の公式会見が10月26日(水)、東京・六本木ヒルズで行われ、「SHINIUMA Dead Horse」のブリランテ・メンドーサ監督と主演のルー・ヴェローソ、「鳩 Pigeon」の行定勲監督、主演の津川雅彦、シャリファ・アマニ、「Beyond The Bridge」のソト・クォーリーカー監督、主演の加藤雅也、チュムヴァン・ソダチヴィーが登壇した。

ブリランテ・メンドーサ監督(以下、メンドーサ):「今日はここに来られて、皆さんにお会いできて大変嬉しいです。映画を楽しんでいただけることを祈っています」

ルー・ヴェローソ(以下、ヴェローソ):「東京に来るのはこれが初めてです。今日この場にいられること、皆さんとお会いできることを大変嬉しく思います。この後、上映がありますので、観客の皆さんが楽しんでいただけることを祈っています」

行定勲監督(以下、行定):「今回のプロジェクトは着地点がどうなるのか、僕自身、不安に思いながらも楽しみにしていましたが、本当に見ごたえのある作品が出来たのではないかと思っています。ぜひ、このアジア3カ国が共同で作った映画を楽しんでください」

津川雅彦(以下、津川):「この年になって、行定監督のご指名で、このような貴重な体験をできたことがとても嬉しいです。アマニと一緒に仕事ができて、マレーシアの人と交流できて、役者としても個人としても良い経験になったと喜んでおります」

シャリファ・アマニ(以下、アマニ):「このような素晴らしいプロジェクトに参加できたことを本当に光栄に思っていますし、こういう形でアジアの監督が一緒になることは本当に素晴らしいことだと思います。今日、共演者である津川さんと行定監督と並んでこの場に座れることを大変嬉しく思います」

ソト・クォーリーカー監督(以下、クォーリーカー):「この場にいる二人の有名な監督とご一緒できて大変光栄に思っています。私はかねてから日本の映画、日本文化を愛してきました。2013年に初来日しましたが、子供の頃からずっと日本について聞いてきました。ですから、本作で日本とカンボジアの文化を融合できたことを大変嬉しく思います」

加藤雅也(以下、加藤):「今回こういうプロジェクトに参加できて、初めてカンボジアの監督とお仕事をする機会に恵まれました。こういうふうに、もっともっといろんな国の監督とお仕事をしていければいいなと思っています。私の実年齢は53歳ですが、今回30代と60代という実年齢と異なるキャラクターに挑戦させていただきました。皆さんに楽しんでいただければと思います」

チュムヴァン・ソダチヴィー(以下、ソダチヴィー):「私は、映画に出演するのは今回が初めてでした。普段はダンサーとして舞台でパフォーマンスしているため、今回の経験は自分にとって大変貴重なものでした。これを機会に、ほかの映画にも出る機会に恵まれたらと思っています。日本とカンボジアで一緒に映画を作ることができてとても嬉しく思いますし、この映画では日本とカンボジアの友好が描かれています。これが一つのきっかけとなって深まることを祈っています」

directors左から行定勲監督、ブリランテ・メンドーサ監督、ソト・クォーリーカー監督

──本作を通じて交流した国に対して抱いていた印象と、この映画の中で生まれた変化、今後に向けて、変化に対する期待についてお聞かせください。

メンドーサ:「今回、私は初めてフィリピン以外で撮影をしました。それも雪の中の北海道ということで、私にとって大変貴重な体験でしたし、とても楽しみました。そもそも私の作品は、マニラの中心街で、隠れた社会の人々をテーマにしてきましたが、初めての北海道での撮影は大きなチャレンジでした。限られた時間の中で、雪やいろんな演出を有効活用できたと思いますし、帰りの飛行機が遅れる中でも、キャスト・スタッフたちと楽しみながら撮影できました」

行定:「マレーシアでの撮影は初めてでしたが、とにかく暑い国なので、なかなか昼間の撮影が困難で、スタッフは基本的に日陰にいました(笑)。私が日の中で色々立ち回っていると、誰かが日傘をさしてくれるという優しい国の方々で、すごく友好的に撮影ができたと思うのですが、まず撮影のスタイルが日本と全く違うんですよね。
日本人は撮影本番で、すごく緊張を強いるような空気感を大切にしますが、マレーシアのスタッフはすごく仲が良く、まず集合写真を撮って団結したところから、いろんな困難を皆で切抜けていく。我々は一人ひとりが真剣勝負で、空気がピンと張り詰めていた撮影だったのですが、あまりにもスタイルが違う。その空気がそのままこの映画に映りこんでいると思います。なかなかコミュニケーションがとれない日本人の老人とマレーシアの若い女性が邂逅して打ち解けあう。それを体現したような撮影現場で、思いもしないようなことが多々ありましたが、楽しく撮影できました」

クォーリーカー:「この映画の中では、3つの時代が描かれています。1960年代、70年代、そして90年代です。主人公の福田が90年代の日本にいる冒頭のシーンを撮るため、私は日本でロケハンを行いました。本当に美しい所ばかりで、ここでも撮りたい、あそこでも撮りたいということになり、何と言っても桜を撮りたいと思ったわけです。
しかし、一旦自国に戻って予算の計算をしたところ、カンボジアでしか撮影できないことが判明し、残念ながら日本での撮影を断念しました。そこでカンボジアでロケハンをしたところ、ちょうど日本人で美術を担当してくれる人がいて、その人が70年代のアパートをカンボジアで見つけ、日本のアパートのようにセットしてくれました。あと、もう少し現代的なヴィラもあったので、それに手を加えて日本の90年代の住居に仕立てて事なきを得たわけです。桜だけは、ちょうど私がカンボジアで撮影をしていたときに咲き散っていたので、日本のユニットに撮っていただきました」

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左からシャリファ・アマニさん、ルー・ヴェローソさん、津川雅彦さん

──ヴェローソさん、北海道での撮影はいかがでしたか?

ヴェローソ:「とても寒かったです。フィリピンでは雪は降らないので、初めて雪を見ました。雪の中の撮影は過酷でしたが、とても楽しくできました。
 メンドーサ監督はとても頭のいい監督で、全体のストーリーを教えてくれないんですね。ただ、こっちを走れとか、あっちに走れとしか指示しないので、私はよく分からないまま言いなりになって演じていたわけですが、撮影中にとても怖い思いをしました。私の役はばんえい競馬の馬の世話をする男だったので、馬の近くに近づかなければならなかったのですが、とにかく象みたいに大きくてとても怖かったです。
ですが、日本での滞在は忘れられません。日本はとても美しい国だと思いましたし、日本人はいつもニコニコしていて、正直で、とても優しい。だから我々フィリピン人も学ぶことが多くあると思いました。おじぎや、部屋できちんと靴を脱ぐなど、フィリピンでもやっていますが、学ぶことが沢山ありました。日本で映画に出られたことを光栄に思いますし、今後ももっと出たいと思いました。
それから、日本は、カンボジアやマレーシア、インドネシアなど、そういったアジアの国々にどんどん近づいているような気がします。このような作品がどんどん増えて、戦争は世界に必要ない、必要なのは平和なのだというメッセージが広がり、人々が国・宗教を越えて仲良くなってほしいと願っています」

──津川さんは、マレーシアでの撮影はいかがでしたか?

津川:「マレーシアには新婚旅行で行きました。マレーシア、タイ、シンガポール、フィリピンなど、アジアが大好きで、同じアジア人としてシンパシーを感じていました。
今回の役は、孤独で寂しい、息子に老人ホーム代わりにマレーシアに追いやられて、信じている鳩と共に暮らすという老人で、僕自身は根が明るいので、こういう役は苦手なんですね。役作りとしては、とにかく愛想が良くない、とんがった僕を頑張って出そうとして、マレーシアに乗り込みました。それがとんだハプニングを呼び、アマニを泣かせてしまいました。
なぜかというと、僕が友好的でなかったからだと。マレーシアでは皆仲良くするのに、僕はほとんど見向きをしなかった。自分なりに役に入っていたつもりが、アマニに誤解を与えてしまいました。終わってからは精一杯明るくして誤解を解きましたが、僕は優しい男だというのを撮影中に言うのは憚れたので、終わってから言いました。
僕は、食べるものを除いては、アジアが大好きです。新婚旅行で食べ物に閉口して以来、外国での仕事は苦手だったのですが、今回、行定監督とスタッフ・キャストの皆さんが本当に熱心に関わってくれたのが、一番楽しかったことです」

──マレーシアと日本の監督、俳優の取り組み方は違いましたか?

アマニ:「そうですね、大分違います。私自身もメソッド演技法を知っていますが、津川さんほど徹底した役作りを実践する方は初めてで、驚いてしまいました。日本の俳優さん、特に津川さんは、静なる力強さ、芯の強さをお持ちで、セットにお見えになると皆が硬直することもありました。最初に撮ったシーンが、(自身が演じた)ヤスミンが(津川氏演じる)道三郎に初めて会うシーンだったのですが、一生懸命覚えた日本語の台詞を全部忘れてしまうほど、緊張してしまいました。ですが、今回行定監督、カメラマン、そして津川さんたちとご一緒に仕事できて、本当に学ぶことがたくさんありました。
そして、一つの仕事に情熱を持って献身的に向き合えば、すごく良いものが出来上がるということを感じましたし、私にとっても貴重な経験でした」

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左からチュムヴァン・ソダチヴィーさん、加藤雅也さん

──加藤さんは、カンボジアでのオールロケはいかがでしたか?

加藤:「同じアジアの国としてカンボジアの名前は知っていましたし、どういう歴史があるのかも大まかには知っていましたが、実際にこの役を演じるにあたって、クメール・ルージュでどういうことがあったのか勉強しました。それでなければ、こうして色々と資料を見ることはなかったのですが、この国がこういう形で成り立っているということを知ることで、よりまた理解が深まりました。意外に知っているつもりでも実際には知らないことが沢山あります。いろんな国で協働して撮影をすれば、映画を作りあげるという一つの目的に向かって、その中でいろんな感情のすれ違いがあったとしても、作り上げたときにはいろんなことが理解できるので、本当に素晴らしい企画に参加できて良かったと思います。
また、この映画では、金繕いという日本の文化について、私は台本を読んで初めてそういうことだったんだと知り、それまでは文様としてしか捉えていなかったのが、クォーリーカー監督に逆に学んだり、外国の方のほうが日本の文化をよく知っていることに気づかされるので、こういう機会があればまたぜひ参加して、その国の文化を学び、その国の人たちとの距離を縮めたいと思いました」

──ソダチヴィーさん、加藤さんに泣かされることはありませんでしたか?

ソダチヴィー:「泣かされるどころか、いつも笑わせてくれました。この作品では、よく泣くシーンがあるのですが、その時にもいろんな冗談を言って楽しませてくれました。私にとって演技は初めてで、とても緊張しました。監督からは『そんなに緊張しなくていい。演技が初めてでも自分自身でいなさい』と言われてとても心強く感じたのですが、役をどういうふうに自分のものにしたらいいのか悩みました。その点で監督と加藤さんにとても助けられたのですが、やはり自分は演じるだけでなく、役になりきらなければならないと思い、とても努力しました。
私自身、カンボジアの女性なので、カンボジア人を演じるのは簡単ですが、日本人の男性と恋に落ちる、そして日本に一緒に行かないかと誘われる、だけど母親がいるから故郷に戻らなければならない、愛する男性の元に戻れなかった女性をどのように自分のものにしていくかに悩みました。そんな中、加藤さんが一緒に台本を読んでくれ、色々とアドバイスをしてくれたおかげで何とか本番に臨むことができました。本番前には、英語の発音も2週間ほど特訓しました。だから今回の映画は私にとってとても大きなチャンスでしたし、初めての映画出演でこれだけ有名で素晴らしい日本の俳優さんと共演できたことに感謝します」

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──今回、日本の映画祭という枠組みの中で、アジア各国と共同で映画製作を行いました。完成してみて、改めてこの企画の意義、日本映画界にとって今後この企画がどうなってほしい、日本映画界がどうなってほしいか、考えをお聞かせください。

行定:「日本映画界のことはよく分かりませんが、越境すること、他の国で映画を撮ることを何回か経験してみて、基本的に思い通りにはなりません。先ほど言ったように、それぞれの国のスタイルがあり、それぞれの作り方があると思います。ただ、同じ映画を作るという共通言語のもとに一つの作品に立ち向かうわけですが、思い通りにならないことが、逆に自分の知らなかった道を切り開いてくれることがある。そういう意味では、果敢に越境していくことは必要だと思いますし、特に日本の映画の作り方というのは越境して作る状況にあまりない。
僕は20年以上前から、本来アジアはもっと一つになって、もっと交流して、新しい才能や新しいショックを日本の映画に取り入れて、いろんなスタッフやキャストが入り乱れてやっていくべきだと思っていまして、そういう時代にきているんだと。我々は、どんな場所で映画を撮っても常に世界の人たちに観てもらえるような環境があることをもっとよく知って、これからもこのような越境する企画を、特に東京国際映画祭には作っていってほしいと思います」

津川:「僕はこれまで日本映画がアジアの中で発展させようという意欲がなかったことをとても恥じています。そういう意味で、僕たちはアジア人ですから、アジアの中でまず自分たちの文化を理解してもらうためにも、お互いが文化を通じて理解を深めるということが、経済や軍事力よりもとても大事なことだと思います。
それから、実はアジアが日本映画にとっても大きな市場だという見識が、日本の映画配給会社のインテリジェンスにないという恥ずかしい現状があるので、アジアの人々に向けた日本文化のメッセージが、こういう機会にどんどん進出していって、日本映画や日本文化がより皆さんに伝わるように行動を発揮することがとても大事なことだと、今回の合作に携わって一番思いました」

加藤:「先ほども申しましたように、観光で訪れるより実際にその地で働いて得るものの方が大きいと思いますし、良いものを作るという目標に向かっていれば、どういう問題に直面しても最終的に皆で手を握り合えるという良いゴールがあるので、こういうプロジェクトをもっと増やして、日本のことも日本人の俳優や監督のこともアジアに知ってもらいたいですし、逆に我々もアジアのことを知りたいと思います。
そういう中で、どうしても日本人というのは鎖国をしていた影響がまだあるのか、我々の文化を外国の人がちょっと間違って撮ると、そうじゃないとよく合作で揉めるのですが、そうじゃなくて、こちらからある程度の妥協といいますか、形を取らないと、全面的に日本の文化だけ押し付けてもぶつかるだけだと思います。そういう受け入れるということが非常に大事だと思います。今回のような企画が長く続いて、いろんな国で働くことによってその国の人たちを知り、間違ったニュースが流れたときには、いやそうではなくこうなんだと言う。ニュースというのは、ある一部だけ取り上げてコントロールされている部分がありますから、そうやって現地で働いた人間が伝えていく力は大きいし、それによってアジアが一つにまとまっていくと思うので、ぜひこういう企画は興行収入がどうかというよりも、続けていってほしいと思います」

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──この映画のテーマは「Living Together in Asia」ですが、『Beyond The Bridge』では恋人たちの別れ、『鳩 Pigeon』では自分の息子と通じ合えない老人、『SHINIUMA Dead Horse』では主人公が国外退去される姿を描いています。テーマに対して皮肉をこめて設定されたのでしょうか?

クォーリーカー:「それぞれの監督がそれぞれの責任をもってオリジナルのストーリーを作るということだったので、私たちはお互いがどのような作品を撮っているのか知りませんでした。その中で私はたまたまラブストーリーを選び、行定監督は老人の話、メンドーサ監督は北海道にいるフィリピン人男性を描いたわけです。
私の作品はラブストーリーですが、戦争によって恋人たちが別れてしまったという話ではありません。愛というのは決して失われない、永遠に続くということを描きたいと思いました。たしかに恋人たちは戦争によって引き裂かれるわけですが、彼らの愛が終焉を迎えたわけではありません。そして、主人公・福田の中にはいまも彼女への想いは永遠に続いているということを描きたかった。誰の人生にも浮き沈みがあります。それを、60年代、70年代のカンボジアに行き、現地の女性と恋に落ちた男性がいまもなおその想いを心に秘めているという形で描きたいと思いました。そして、福田というカンボジアの文化や人をよく理解している人物を通して、いろんなアジアの国の文化を受け入れなければいけない、互いの文化を理解することが大切だということを描きたいとも思いました。福田は、過去の恋の傷を受け入れて、いま幸せな人生を送りながらもなお、かつての恋人への想いを秘めているからカンボジアに戻って来ます。そういった形でお互いの文化をリフレクトすることで、お互いの文化を理解し合うことが大切だと思いました」

行定:「海外で撮影する状況に置かれたときに一番考えるのは、日本人とはどういう人間性、どういう精神を持っているのだろうということです。今回は津川さん演じる老人がアマニさん演じる女性に一つの信頼を託す、信じる心を託す物語です。日本人は、隣人に向ける目を非常に重視するような気がします。肉親より血の繋がらない人間が自分に信頼を寄せてくれる、理解をしてくれるときに、日本人はそこに向ける眼差しをちゃんと受け入れるんですね。それは小津安二郎監督の作品にも見られると思いますが、そういう精神というのは非常に日本人らしい。それを一つの物語として昇華できればいいと思いました。そこから生まれる新しい道、希望というものを見出していきたいと思いました」

メンドーサ:「このオムニバス映画を作るにあたって3人で話し合いをした際に、3作品で何か共通点を持たせた方がいいということで、『鳩』という共通のモチーフを取り入れることを決めましたが、それ以外は全く規制のない中で映画を作れる自由を我々は与えられました。
『作品に皮肉を込めたのか?』というご質問でしたが、それは全くなく、私は何の皮肉も込めていません。ただやっぱりこの映画の主人公をより人間的に描くということで、このような設定になったわけですが、この世にパーフェクトな世界はありません。いろんな社会問題や辛いことがあります。もちろんアジアもパーフェクトな世界ではありませんし、その中で模索しながら人間は生きているので、そういった姿を描きたいと思いました。より現実的な状況で、現実的な人間を描いてきました。もう一つ大きな疑問として、何で彼はこれだけ遠く離れた北海道までやって来たのだろうかということがあります。その気持ち、状況というものを描きたかったわけです」

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